■高校時代所属していたワンゲル部の同輩と初めて個人山行に出かけた。クラブ山行以外では初めての山行だった。■初日の昼頃、東京を出発し、夕方秩父湖から入山した。■二瀬ダムの上を通り過ぎ、車道を少し歩いた後、秩父湖の南側に架かる吊橋を渡った。渡り終えた所を左に曲がり、山道に入る。とりあえず石津窪の作業小屋を目指した。■日が暮れる頃、途中で崖が崩れて踏跡が途切れていたので、少し戻り斜面を強引に登っていった。■夕暮れとともにスペースを見つけてテントを張った。すでに現在地はよく分からない。■2日目、勘を頼りに道のないところを歩いていった。どこを歩いているのか分からなくなっていたが、やがて踏跡を見つけて進んでいくと、石津窪の作業小屋に達した。■石津窪の作業小屋は、古い小さな小屋だった。すでに廃屋と化しているように思われた。小屋の脇には水場があった。■石津窪の作業小屋から、小屋の裏手の道なき斜面を強引に登っていった。■標高1300m付近の二瀬尾根中腹は森林軌道跡らしくヤブの中に道形が残っていたので、ここを進んでいった。途中笹ヤブが深い。■やがてレールやトロッコの残骸が現れると、半壊した作業小屋のある地点に到着した。おそらくここが森林軌道の終点と思われた。小屋の近くには水場があり、どこからか黒い管で水が引いてあった。■第二の作業小屋から笹ヤブの中の踏跡を登る。かなり急だった。■急登が終わると尾根上に出た。このあたりからテープの目印を頼りにして歩いていた。■夕暮れ時、目印を見失った。少し戻りルートに復帰した後、スペースを見つけ幕営した。北ノコル手前と思われる。■3日目、幕営地点から程なく将監峠からの道と合流し、少し下ると千代蔵ノ休場に出た。あたりは開けていて、南側の眺めがよい。■千代蔵ノ休場には水場があることになっていたので、探したが小さな水たまりしか見つけることができなかった。凍結していたので割って氷を回収して融かして使った。鉄臭い水だった。■千代蔵ノ休場からわずかで和名倉山頂上に達した。和名倉山頂上は眺めのないひっそりとした樹林帯の中で、少々分かりにくかった。■秩父湖と将監峠へのルートの合流点まで戻り、将監峠の方へ少し進むと川又への分岐があった。意見が分かれたが、時間もなかったので川又に下山することにした。■川又への道は、途中ヒルメシ尾根へそのまま進んでしまいそうになった以外は、秩父湖からの道より分かりやすく、登りで苦労したわりに短時間で下山してしまった。川又に下りて正解だった。■今にして思うと、山を初めて数ケ月しか経っていないのに秩父湖から和名倉山を目指したのは無謀だったかもしれないが、山の面白さが分かったのはおそらくこの山行だったと思う。ある意味、自分の山歩きの原点とも言える山行である。(2001年3月21日記載)
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