2017年4月30日(日)

南会津

六石山

4月30日 晴

大内ダム湖畔625 →歩→ 一里塚640 →歩→ 六石山700−725 →歩→ 一里塚740 →歩→ 大内峠750−755 →歩→ 氷玉峠820 →歩→ 氷玉トンネル北口835 →歩→ 氷玉トンネル南口845 →歩→ 大内ダム湖畔900

日帰り 単独

六石山は大内ダム湖の北に位置する三角点峰である。大内ダム湖は、大内調整池とも言うらしい。以前存在した大内沼は、大内ダム湖の湖底に沈んでいる。氷玉トンネルと大内ダムの間にある大内ダム湖畔の園地に駐車スペースがあったので、そこに車を置いて出発する。園地から大内ダムの方へ少し行くと、2万5千分の1地形図に記載されている林道が左に分岐する。その少し手前に「下野街道」と書かれた標柱があり、左に山道が分岐するので、林道でなくここを入る。山道は旧下野街道であり、よく踏まれている。緩やかに登っていくと、右下の沢沿いに先ほどの林道が並行するようになり、やがて合流すると広場のような場所に出た。「← 峠の茶屋跡 約500m 大内宿 約2km →」と書かれた壊れた道標があった。ここは大内峠一里塚であり、広場の先には一対の塚がある。無雪期は、林道を経由してここまで車で入ることも可能なのかもしれない。旧下野街道は塚の間を直進するが、塚の手前から左手の沢の方へ明瞭な山道が分岐するので、ここを入る。小沢に沿って幅の広いよく踏まれた山道があり、これに従って進んでいく。沢の流れが無くなると、正面の上の方に電波塔のような人工物が目に入る。さらに残雪の上を登っていくと、大内峠と六石山を結ぶ尾根上に出た。ここで左折するが、階段が付けられた登山道のようなしっかりした道が続いている。数回カーブをしながら登っていくと、先ほど見えた電波塔の下に着いた。「東京電力株式会社 六石山マイクロ無線通信鉄塔 竣工 昭和63年11月」と書いてあった。大内峠一里塚から続くよく整備された山道は、この鉄塔のための作業道であると考えられた。鉄塔の周囲は広場のようになっていて、高い所は六石山の頂上部である。振り返ると小野岳を望むことができた。鉄塔の奥のヤブの中を探すと六石山の三角点を見つけることができた。標識等は皆無である。六石山頂上から元来た道を戻る。季節的にヤブも薄く、途中から尾根伝いに大内峠に出ることもできそうであったが、旧下野街道を歩いて大内峠を越えようと考えて、一旦大内峠一里塚まで戻った。大内峠一里塚の先で道は左右に分かれるが、すぐに合流するのでどちらに選んでも問題ない。道はもう一度分かれ、ここもすぐに合流するのでどちらに進んでもよいが、左の方が近道と思われる。合流すると「大内峠古戦場」と書かれた看板がある。戊辰戦争の際、この付近で激しい戦闘が繰り広げられたとのことである。大内峠古戦場を過ぎると、まもなく大内峠に到着した。茅葺屋根の茶屋が復元されている。傍らには、古い鳥居や小祠、石像もあった。大内峠で道が左右に分かれるが、左の道に入る。右の道はすぐに行き止まりになっているように見えた。「← 三群境の塚 大内峠一里塚 →」と書かれた道標がある。大内峠から道は下りに転じ、緩やかに下っていく。積雪がある箇所もあったが、道は広くてよく踏まれている。途中、氷玉峠方面の眺めが良い場所があった。「大内峠見晴宜敷場所」と書かれた看板がある。江戸時代に馬子たちが会津盆地を眺めながら一息入れた場所ではないかということである。大内峠から15分ほど下ると、県道の大内3号橋という橋の脇に出る。大内ダム湖畔の旧下野街道の入口にあったような「下野街道」と書かれた標柱と「歴史の道 下野街道 大内峠に至る」と書かれた標識があった。その先には「三郡境の塚」という小さな塚がある。会津若松市、会津美里町及び下郷町の市町境とのことである。左側に「× この先行き止まり 通り抜けできません」と書かれた標識を見ると、右側に県道の駐車場がある。もう少し旧下野街道を進むことにする。駐車場の先は気持ちが良い平坦な林の中を歩いていくが、この辺りが氷玉峠のようである。三郡境の塚から5分くらい行くと道端に石祠があり、そこから階段を下って県道に出た。県道を横切るとその先にも階段があり、これを登ると旧下野街道が続いているが、歩く人も少ないのかやや荒れているように見受けられた。この切り通しから県道を歩いて、大内ダム湖畔まで戻ることにする。切り通しから駐車場まで数分だった。前方に先ほど登った六石山が見える。六石山は、北側から見ると頂上に鉄塔があるのが分かり、容易に同定できる。駐車場には「歴史の道 下野街道P」と書いてあった。会津美里町の観光用の看板が設置されている。駐車場から氷玉トンネル北口まで5分くらいだった。途中、左手に大戸岳が良く見えた。氷玉トンネルは歩道や電灯があるので、歩行での通過に問題はないが、車が通過する際にとても大きな音がするのが不気味である。氷玉トンネルを通り抜け、大内ダム湖畔の県道を歩き、車を置いた園地に戻った。帰りに大内ダムから見た神籠ケ岳や水抜高倉山は非常に印象的であった。六石山は登る人もほとんどいないような山と思われ、ヤブを漕ぐことも覚悟して出かけたが、六石山頂上までしっかりした道があり、拍子抜けした。しかし、以前より歩いてみたいと思っていた大内峠越えと組み合わせて歩くことができたので、良かったと思う。山中では誰にも会わず、静かな山歩きを楽しむことができた。(2017年5月13日記載)


六石山(2017年4月30日)



下野街道を大内ダム湖畔から一里塚へ向かう1(2017年4月30日)



振り返ると樹間に大内ダム湖と白い山が見えた(2017年4月30日)



下野街道を大内ダム湖畔から一里塚へ向かう2(2017年4月30日)



一里塚から六石山を目指して登っていく1(2017年4月30日)



一里塚から六石山を目指して登っていく2(2017年4月30日)



六石山頂上1(2017年4月30日)



六石山頂上2(2017年4月30日)



六石山頂上3(2017年4月30日)



六石山頂上の三角点(2017年4月30日)



六石山頂上4(2017年4月30日)



六石山頂上5(2017年4月30日)



六石山頂上の鉄塔(2017年4月30日)



この奥に六石山の三角点がある(2017年4月30日)



六石山から小野岳を望む1(2017年4月30日)



六石山から小野岳を望む2(2017年4月30日)



六石山から大戸岳を望む(2017年4月30日)



六石山から遠くに見える白い峰は男鹿山塊か(2017年4月30日)



六石山から一里塚に戻る(2017年4月30日)



大内峠一里塚1(2017年4月30日)



大内峠一里塚2(2017年4月30日)



大内峠にて1(2017年4月30日)



大内峠にて2(2017年4月30日)



大内峠にて3(2017年4月30日)



大内峠にて4(2017年4月30日)



大内峠の石像(2017年4月30日)



大内峠と氷玉峠の間の下野街道1(2017年4月30日)


大内峠と氷玉峠の間の下野街道2(2017年4月30日)



見晴宜敷場所から氷玉峠を見る(2017年4月30日)



氷玉峠付近にて(2017年3月19日)



氷玉峠付近から六石山を見る(2017年4月30日)



氷玉峠と氷玉トンネルの間で大戸岳を望む1(2017年4月30日)



氷玉峠と氷玉トンネルの間で大戸岳を望む2(2017年4月30日)



氷玉峠を振り返る(2017年4月30日)



氷玉トンネルを抜ける(2017年4月30日)



大内ダム湖1(2017年4月30日)



大内ダム湖2(2017年4月30日)



大内ダム湖3(2017年4月30日)



大内ダム湖4(2017年4月30日)



大内ダムの向こうに神籠ケ岳と水抜高倉山を見る(2017年4月30日)



大内ダムから神籠ケ岳と水抜高倉山を望む(2017年4月30日)



大内ダムから水抜高倉山を望む(2017年4月30日)



大内ダム湖と六石山(2017年4月30日)



大内ダムから神籠ケ岳を望む(2017年4月30日)



大内宿(2017年4月30日)



六石山−GPS軌跡(2017年4月30日)
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、 第537号)
 承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければならない。




戻る