2018年3月10日(土)

南佐久

見張城山

3月10日 雪〜晴

大鰭トンネル640 →歩→ 大鰭峠705−710 →歩→ 見張城山740−750 →歩→ 見張城跡805−810 →歩→ 見張城山830−840 →歩→ 大鰭峠920−925 →歩→ 大鰭トンネル940

日帰り 単独

大鰭峠の西方の北相木村と南相木村の村境の尾根上に位置する標高1178.6mの三角点は、点名が「京岩」であるが、2万5千分の1地形図によると、岩があるような険しい地形には見えず、尾根の北側にある北相木村の京の岩という集落の名前に由来すると考えた。また、標高1178.6mの三角点には、テレビ放送がデジタル放送に移行する以前にアナログ放送の中継局として使用されていたと思われる「相木テレビ中継放送所」があり、その位置は「城山」とされている。南西の海ノ口城跡近くの南相木村と南牧村の村境にも城山が存在することから間違いではないかと考えたが、古い書物を紐解くと「鳥居城山」と「見張城山」という記述が見られ、「鳥居城山」は海ノ口城跡近くの城山、すなわち標高1357.8mの三角点を指し、「見張城山」は標高1178.6mの三角点を指すと考えた。海ノ口城は別名鳥居城と言う。見張は南相木村の字名ミハリに由来すると思われ、見張城跡は標高1178.6mの三角点の西隣の標高1140mのピークである。ここでは標高1178.6mの三角点峰を見張城山として登りに出かけることにした。大鰭トンネルの南側の南相木小学校の方から登ってくる旧道のような道との分岐付近にスペースがあったので、ここに車を置いて出発する。周囲には「松茸山に付 入山禁止」と書かれた看板がある。旧道は大鰭トンネルの脇からUターンするように左にカーブしていて、ここを数分下っていくと現道と交差する。2万5千分の1地計図によると、旧道は現道の南側を回って大鰭峠へ続いているが、実際には、この交差地点の上部から簡易舗装が施された道が分岐しており、これが大鰭峠への峠道となる。積雪のため、路面の状態は分からないが、数分登ると道幅が狭まり、「入山禁止 許可なく入山した者は罰金十万円を申し受けます。」と書かれた掲示を見ると、山道となる。いかにも峠道といった風情の明瞭な山道が山腹のアカマツやカラマツの森の中に付けられている。一部、夏場はヤブが深くなりそうな所もあった。尾根が近づき、つづら折れのように右と左に大きくカーブすると、まもなく大鰭峠に到着した。大鰭峠には、男性と思われる坐像と女性と思われる立像の一組の石像があった。立像の方は二つに割れてしまっていた。峠道は尾根を乗り越えて北側に続いている。石像の後ろから西へ尾根上を進んでいく。積雪でよく分からないが、尾根上にはおそらく踏跡があると思われた。緩やかに小さな登り下りを繰り返す。途中、北側が伐採されていて眺めが良い所があった。11年くらい前に登ったことがある大通嶺がとても立派な山に見えた。主に南相木村側には断続的に有刺鉄線の古い柵が設置されていた。途中に「入山禁止」と書かれた掲示もあった。雪に足を取られて有刺鉄線の柵に突っ込まないように注意しながら歩いた。大鰭峠から25分ほど行くと、尾根上に大きな岩が現れ、下の方に岩場にようなものも見える。もしかすると、京岩とはこの大岩を指すのではないだろうかなどと勝手に考える。西側は1mくらいの段差があり、雪が付いていてつかむ所も少ないので、大したことはないが少々注意が必要な場所だと感じた。大岩を過ぎると、右下の方から林道のような道が近づいてくることに気が付いた。やがてこの道と合流すると、まもなく見張城山頂上に到着した。見張城山頂上には、「昭和60年度 まつたけ生産対策事業 まつたけ発生環境整備モデル林」と書かれた古い看板とおそらく現在は使われていない「NHK相木テレビ中継放送所」と書かれた建屋とアンテナがあった。林道のような道は、ここで終点となっていて、この施設のための作業道であると思われたが、現在使用されているかどうかは不明である。建屋の裏の一段高くなっている所に三角点があったが、標識などは皆無であった。時間が早かったので、さらに尾根を西にだどり、標高1040mの見張城跡まで往復することにした。見張城跡まで緩やかな下り主体の尾根であり、見張城跡の手前で急登すると見張城跡に着いた。見張城跡には東側と西側に古い石祠があるだけで、特に何もなかったが、頂上部は平坦で西側の斜面は切岸のように見え、山城の跡であることを物語っているように思えた。見張城跡から元来た道を戻った。途中の眺めが良い所で15分くらい休憩して眺望を楽しんでから下山した。帰りに気が付いたが、見張城山への作業道は途中の大岩がある地点よりも東側から尾根と並行しているようで、見張城山は北相木村の宮ノ平付近から作業道をたどって登ることも可能と思われた。見張城山は明らかに登山対象にはならない山であるが、人々の生活の息吹や歴史を感じされる山であった。帰りに南相木温泉に寄ってから帰途に就いた。(2018年3月16日記載)


大鰭トンネル(2018年3月10日)



大鰭峠にて1(2018年3月10日)



大鰭峠にて2(2018年3月10日)


見張城山を目指す1(2018年3月10日)



大鰭峠から見張城山に向かう途中でぶどう岳方面を見る(2018年3月10日)



見張城山を目指す2(2018年3月10日)



見張城山頂上1(2018年3月10日)



見張城山頂上2(2018年3月10日)


見張城山頂上の三角点(2018年3月10日)


見張城跡にて(2018年3月10日)


見張城山付近にて(2018年3月10日)


見張城山頂上3(2018年3月10日)


見張城山頂上4(2018年3月10日)


見張城山に登ってくる作業道(2018年3月10日)


見張城山と大鰭峠の間にある大岩(2018年3月10日)


大鰭峠に戻る途中で大通嶺を望む1(2018年3月10日)


大鰭峠に戻る途中で大通嶺を望む2(2018年3月10日)



大鰭峠に戻る途中で茂来山方面を見るが、雲で見えず(2018年3月10日)


大鰭峠に戻る途中で親沢峠〜阿登久良山方面を見る(2018年3月10日)


大鰭峠に戻る途中で阿登久良山を望む(2018年3月10日)



大鰭峠に戻る(2018年3月10日)


大鰭峠にて3(2018年3月10日)


大鰭峠越えの峠道1(2018年3月10日)



大鰭峠越えの峠道2(2018年3月10日)


大鰭峠越えの峠道3(2018年3月10日)


大鰭峠越えの峠道4(2018年3月10日)



見張城山−GPS軌跡(2018年3月10日)

この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、 第537号)
 承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければならない。




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