■袖山岳は八嶽山の西側に位置し、2万5千分の1地形図では「袖山」と記載されている。袖山岳の西方の標高1179.9mの三角点が大沼山である。袖山岳と大沼山は愛知と長野の県境に位置し、一般には愛知県の旧富山村側から登ることが多いようであるが、今回は膝への負担を減らすために勾配が緩そうな長野県側から林道を経由して登ることにした。■坂部からさらに林道虫川新野峠線を奥に進み、先途への分岐の路肩が広かったので、ここに車を停める。出発の準備をしていると、軽トラックが来て太田の方へ走っていった。■林道虫川新野峠線から分かれる道をわずかに登ると先途であるが、もう住む人はいないようである。墓地には新しい仏花が供えられており、物寂しい雰囲気を漂わせていた。■先途から左に分岐する林道に入る。入口には「林道 本山線 この林道は民有林林道です。次のことに十分注意して通行して下さい。 記 スピードを落とし安全運転
カーブは徐行、出会いがしらに注意 落石、土砂崩れ、路肩に注意 林道管理者 天龍村長」と書かれた看板があったが、その一方で「通行禁止 この道路は林道開設中で「危険」です。通り抜けできませんので、関係者以外の車両の通行をお断りします。管理者
天龍村」とも書いてあった。■林道は、大きくカーブして先途の上の方の山腹を登っていく。■先途から15分くらい行くと、舗装路から未舗装路に変わった。標高を上げるにつれて積雪も見られるようになった。■2万5千分の1地形図の記載よりも奥まで林道は伸びていた。大きく左にカーブして切り通しのような所を通過すると、先途で見かけた軽トラックが追い抜いていった。そこから少し行くと、林道終点に着いた。■林道終点は広場のようになっていて、先ほどの軽トラックが停まっていた。ここから植林をわずかに登ると、東又峠に着いた。軽トラックの主は鉄砲を持っていたので、地元の猟師と思われた。ワナを仕掛けていたのか、辺りを念入りに見て回ると帰っていった。■林道は東又峠の直下まで伸びていることが分かった。東又峠には、稜線が掘削されたように窪んでいる部分があり、昔の峠道の跡かもしれないと思った。「←東又集落跡(健脚向け)30分」や「八嶽山東又ルート健脚コース」などと書いてある壊れかけた道標があったが、東又峠から旧富山村へのコースは廃道になって久しい。■東又峠から西へしばらく植林の尾根を登っていく。やがて標石がある所で稜線に乗り、なだらかな稜線をたどる。■稜線に乗ってから25分くらいで袖山岳頂上に到着した。北側は自然林、南側は植林で覆われていて眺めは無い。立木に「袖山岳頂上 1187M」と書かれた標識が付けられていた。■袖山岳頂上から西に向かうとすぐに尾根が二手に分かれるので、右の尾根に進む。この付近はやや地形が複雑で、支尾根に入らないように注意した。■途中で向きを北に変えて一登りすると、大沼山頂上に到着した。私製の標識と三角点があった。大沼山頂上も木々で覆われていて眺望は無い。■大沼山頂上でしばらく休んだ後、東又峠まで元来た道を戻った。膝の調子も良かったので、東又峠から八嶽山も往復することにする。■東又峠から小ピークまで登り返してから下ると、左の植林の中に小屋を見る。帰りに様子を窺ったが、手入れの行き届いた作業小屋のようであった。■標高961m地点に続く尾根が南へ分かれる付近には「東又ルート尾根中間点」と書かれた標識があった。ここまで眺めが良い場所は無かったが、ここで日本ケ塚山方面の眺望を得ることができた。■東又ルート尾根中間点から一登りすると、尾根が細くなり岩稜のような所を通過し、10分ほどで八嶽山の展望台に着いた。わずかに下って反射板の脇から登り返すと、八嶽山頂上に到着した。■雪上に足跡が無かったので、この日は旧富山村の方から登ってきた人もいなかったようである。■八嶽山頂上と展望台で少し休んだ後、元来た道を東又峠まで戻った。八嶽山には1年2か月前に旧富山村の熊野神社から登っているが、番号札が付けてあり、八嶽山付近は「17」だった。展望台の西側に「18」があり、東又峠は「22」だった。■東又峠から林道本山線を歩いて先途まで戻った。今朝見かけた軽トラック以外の轍は無かったので、他に車は来ていないようだった。■林道本山線は荒れているのではないかと思っていたが、四輪駆動車であれば東又峠まで十分に進入可能な状況だった。八嶽山や袖山岳、大沼山は、旧富山村側から登る場合は急勾配で険しいが、長野県側の林道本山線を利用すれば容易に登頂できることが分かった。このことを案内する書物などはほとんど無いが、そのままで良いのではないかと思う。■奥三河で個人的に登ってみたい山は、今回の山行で概ね登り終えた。さらに奥の南信の山にもl興味が沸いてきた。(2021年7月4日記載)
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