2022年10月8日(月)

金剛
金剛山

10月8日 曇

金剛登山口635 →歩→ 千早城跡650 →歩→ 千早神社655−700 →歩→ 国見城跡810−820 →歩→ 金剛山大日岳835−845 →歩→ 金剛山葛木岳900−910 →歩→ 転法輪寺915 →歩→ 国見城跡925 →歩→ 金剛登山口1020

日帰り 単独

1週間前に中央アルプスまで出かけたので、軽めの山歩きということで、以前に登ったことのある金剛山に行くことにした。金剛山には、頂上部に標高1000mを超えるピークとして葛木岳と湧出岳と大日岳があるが、今回は葛木岳とまだ行ったことがない大日岳に最もよく歩かれている千早本道から登ることにした。金剛登山口のバス停から百ケ辻の方へわずかに行くと、左に千早城跡への登り口がある。「千早城址を経て金剛山頂へ」や「千早神社・千早城跡経由 金剛山へ」や「千早城址0.4km」などと書かれた道標に従ってここから入山する。車道から急な石段が続き、登り着いた所が千早城跡である。広場になっていて、茶屋があるが、寂れた感じで今は営業していないようである。尾根を進んで石段を登ると、社務所のような場所を通過するが、人の気配はない。さらに石段を登ると、千早神社に着いた。千早城本丸跡との標示も見られた。千早神社の裏手には、「立入りを御遠慮ください。この裏山は千早神社と一体で、神聖な場所です。千早神社」と書いてあり、社務所の方に少し戻ってから千早神社の裏手の高みを巻くように登山道を進む。途中で古いコンクリート製の東屋を見て、千早神社から10分くらい行くと、千早城跡を経由しない登山道と合流した。その後は整備された登山道を登っていく。多くの部分は植林中に付けられた階段の登りで、眺望もない。千早城跡を経由しない登山道と合流してから50分くらいで国見城跡に着いた。あいにく曇っていて眺望は得られなかった。国見城跡にある「金剛山頂 海抜1125米」と書かれた標識は新しくなったように見えた。国見城跡の売店の脇で「←セト迂回路」や「守屋・青崩へ←」と書かれた道標に従って細い山道に入る。10分くらい進むと、「赤坂町石道 ←セト」や「←青崩 セト方面 ↑大日岳 六道の辻 太尾塞跡方面」と書かれた道標があり、分岐を直進する。分岐から5分くらい登ると、大日岳頂上に到着した。「金剛山 大日岳 1094m」と書かれた標識と丸木で作ったベンチがあった。道の途中のような場所で、辺りを少し歩くと、標識が付けられている少し広い場所が他にも2か所あった。それぞれ標識には「大日岳 海抜1094m」と「大日岳 1094m」と書いてあった。元来た道を戻るが、途中で葛木岳の北側の方に続く山道があったので、そちらに進む。道標はないが、明瞭な山が続いていた。途中で右側から山道が合流し、山腹を行くと、伏見峠方面からの林道と合流した。右に行くと、すぐに「←表参道 裏参道→」と書かれた道標があり、左の表参道へ進む。まもなく葛木神社の真下に着き、石段を登ると葛木神社に到着した。葛木岳の最高点は葛木神社の裏手だが、神域のため立ち入ることができないので、ここを葛木岳頂上とする。葛木神社から転法輪寺を経由して国見城跡に戻った。国見城跡から近道という道を少し下ってから行きに通った登山道と合流した。帰りは千早神社や千早城跡は通らず下山した。登り始めた時はあまり人がいなかったが、後から来た登山者にどんどん追い抜かれた。明らかに自分よりの年長と思われる人でも健脚の人が大勢いて感心した。下りでは膝痛が出て、次回の山行から杖を利用することを考え始めた。金剛山は回数登山で有名な山で登山者も多いので、安心して登ることができる山でもある。自分も時間がない時などは、体力維持のために金剛山に登りにくることにしようかと思った。(2023年4月16日記載)



千早城跡(2022年10月8日)


千早神社(2022年10月8日)


途中で見かけた石仏(2022年10月8日)


国見城跡付近の石柱(2022年10月8日)


国見城跡にある金剛山の標識(2022年10月8日)


大日岳頂上(2022年10月8日)


大日岳頂上の標識(2022年10月8日)


葛木神社1(2022年10月8日)


葛木神社2(2022年10月8日)


葛木神社3(2022年10月8日)


葛木神社4(2022年10月8日)


下山途中で見掛けたブナの木(2022年10月8日)


帰りに一番最後に見た石仏(2022年10月8日)


金剛山−GPS軌跡(2022年10月8日)
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、 第537号)
 承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認を得なければならない。



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