■駿河の山は冬でも積雪の心配がないと思われるので、登ったことがない突先山を目指すことにした。■突先山は藁科川流域の山であり、狭い意味では奥藁科の山であるが、広い意味では藁科川も安倍川の支流なので、ここでは安倍奥の山と捉えることにする。■車で藁科川沿いの県道を遡り、立石橋という橋を過ぎてから右折して栃沢に向かう。■当初は栃沢の集落に車を駐車しようと思っていたが、車を停める適当な場所が見当たらなかったので、茶畑が点在する集落を通り過ぎて、登山口まで車で入った。■登山口付近は、前年9月の台風の影響と思われるが、林道が崩壊していて、道が付け替えられていた。付け替えられた道の分岐から先は、車は来ないはずなので、そこに車を置いて出発した。■登山口には「栃沢 ←突先山78分釜石峠45分 立石バス停50分→」と書かれた道標や「突先山ハイキングコースのご案内 静岡市スポーツ振興課」と書かれた案内板があった。■案内板には、これから登る釜石峠への登山道に「TEA ROAD(ティーロード)」と書いてあった。栃沢は、聖一国師の生誕地とのことである。聖一国師は、円爾という臨済宗の僧で京都の東福寺を開基である。聖一国師が足久保に茶を植えたのが静岡茶の始まりと言われていて、聖一国師が往来したであろう足久保と生家のあった栃沢を結ぶ釜石峠越えの道をティーロードと呼んでいるようである。■登山口から少し行くと、小屋があり、右に林道のような道が分かれる。おそらく「突先山⇔栃沢」と書いてある古い道標と「ティーロード 突先山登山口」と書かれた標識がある所で丸木橋を渡って、沢の左岸の登山道に入る。■少し沢沿いに行くと、右岸に移る。橋があったようだが、損壊していた。■沢沿いに20分くらい行くと、橋を渡って左岸に戻った。右岸の橋の上流には、石積みが見られ、ワサビ田の跡のようだった。■その後、道は荒れていて、ロープが張ってある箇所を通過し、小滝の上部で渡渉して対岸に渡った。■対岸に移ると、沢から尾根に上がる。尾根上は路肩が抉れていて、ここもロープが張ってあった。■沢から離れて植林の中を登っていく。炭焼き窯の跡も見られた。■登山口から55分くらいで林道を横切り、そこから5分も登ると、釜石峠に到着した。■釜石峠には標識と歯痛地蔵という石像があり、少し進むと奥長島からの道と合流し、右折して突先山に向かう。■標高847m地点を通過すると、先ほどの林道と合流したが、まもなく左に登山道が分かれるので、そこを入る。■しばらく尾根を登っていくと、エンジンの音が聞こえてきて、右手の森の中で重機を使って伐採した木材を搬出する作業をしているようだった。こんな山の上の方で作業が行われていたのは驚きだった。■やがて突先山頂上に到着した。標識や三角点があった。木々で覆われた薄暗い感じの場所で、眺めも良くないが、辛うじて富士山や愛鷹連峰、竜爪山、大棚山などを望むことができた。■突先山頂上でしばらく休んだ後、釜石峠まで戻った。せっかく来たので、中村山も往復することにする。■釜石峠から登っていくと、途中から不明瞭な箇所もあるが、注意して上を目指して進めば問題無かった。■稜線に近づき、左の方の高みに上がると、中村山頂上に到着した。標識と三角点があった。突先山頂上よりも明るい雰囲気だったが、木々が茂っていて眺望は得られなかった。■しばらく休んだ後、下ることにするが、釜石峠から見て右の方の高みも気になったので、寄ってみると、こちらにも「中村山 1007M」と書かれた標識があった。■釜石峠まで戻り、元来た道を通って下山した。■行きは気が付かなかったが、ワサビ田の跡がある橋の下方で、対岸の植林の中に作業小屋があるのが見えた。■道に迷うようなことは無かったが、釜石峠までの登山道は思っていたよりも荒れていた。前年9月の台風の影響と思われ、付近の山に登る場合は、しばらく注意が必要かもしれないと思った。■突先山頂上付近で作業が行われていたが、それ以外は年明け早々の平日であり、人の姿を見かけることもなく、静かな山歩きを楽しむことができた(2024年3月31日記載) |